盒教殿析 - 自伝

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自伝・岩手への慕情 ―盒教殿析困みずからを語ったことば―

盒教殿析
岩手日報 昭和12年9月19日

  ふるさとの訛なつかし

  停車場の人ごみの中に

  そを聴きに行く

 

上野の駅を行くたびに、私は啄木のこの歌を思う。そして、胸に痛い程の望郷の情を感じる。上野駅の附近へ出かけた折にも、ふとこの歌を思い出し、わざわざ駅のホームへ入ってみることがある。

 

啄木は岩手県渋民村の生れだから、その言うところの「ふるさとの訛」は、南部弁である。だが、私は岩手県人ではあるけれども、生れたのは北海道であり、岩手県で生活した経験がない。従って、南部弁には親しみがうすく、「ふるさとの訛」として懐かしいのは、北海道弁であるが、上野駅に氾濫する方言は、東北弁と北海道弁であるから、啄木の歌の気持ちは、やはり私の気持にピッタリである。グンと来るのである。

 

私は北海道で生れたけれど、原籍は岩手県岩手郡にある。父が岩手人なのであり、私はまさしく岩手の血をうけた岩手県人なのである。上野駅の人ごみに立っていると、国訛りとしては北海道がなつかしく耳にひびくが、私の眼はいつも岩手人の風貌を追う。それは、亡き父への限りない思慕の情からである。父が世を去ってから、もう四十年に近い、写真嫌いだった父は、一枚の肖像をも残してくれなかった。なつかしい面影は、ただ私の瞼のかげに残っているだけであるが、岩手県の人さえ見れば、私は父のおもかげに接する思いがし、胸にジンと来るような懐かしさをおぼえるのである。

 

そんな訳で、私は岩手県に友人知己をあまり持っていないが僅かに持つ友人知己に対して、ふかい友情を感じる。在京岩手学生会の諸君が何かと呼びかけてくれることに対しても、深い喜びを感ずる。

 

四、五年前だったと思うが、在京岩手学生会の総会に、講演を頼まれた私は、県の偉い人達が口を開けば学生諸君の将来を期待するようなことばかり言いながら、その将来の岩手県を背負って起つべき在京学生諸君に対する県の援助のあまりにも少ないのは怪しからんと、無遠慮に非難した。

 

はっきりした数字の記憶はないが、県の補助金が、在京学生一人に付き一ケ年に十円程にしか当らなかったようにおぼえている。或は一桁上だったかも知れないが、どっちにしろ、あまりにも問題外の少額だったことは確かで私はそれを見て義憤を感じたのであった。

 

その頃の東京は戦災で焼野原と化した街々の復興がまだ半ばにも達せず地方から来ている学生諸君は、下宿を見つけることが最大の苦労だった。そこで私は、県が学生諸君の将来を期待し、属望するならば、なぜ安心して勉強が出来るように援助しないのかと叫んだのであったが、そんな事も多少の刺激になったかどうか、その後は県当局や県有志の在京学生に対する援助が盛んになり、学生寮をはじめ、いろんな福祉施設を完備しつつあるようで、慶賀に耐えない。

 

岩手県は決して岩手県人だけのものではない。日本人すべての所有である。だが、真に岩手県を愛し、真に岩手県のために全力を尽すのは岩手県人だけであろう。未だ眠れる資源と言われる岩手県は、将来これを担う人々によって、遺憾なく開発され、発展することを祈らねばねらない。若い学年諸君に一臂の力を貸すことこそ、最も有意義の発露と云うべきであろう。

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