板垣桑蔭 - 征四郎日記から

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生前の桑蔭について板垣征四郎の日記に記してある箇所を引用させて頂く。

 

征四郎は桑蔭の長男征徳の四男である。
桑蔭は生後一年余りで母を亡くした征四郎を非常にかわいがり、秘蔵孫であったといわれ、征四郎もまた桑蔭を敬愛してやまなかったようである。

昭和21年11月8日

祖父53回忌、祖父桑蔭は聖賢に近し。
50余歳、一藩を代表して謝罪使として罪に服し、端然たり。
檜山佐渡切腹罪に服し、罪祖父に及ばず。
名を草陰と改め、沼宮内に隠屯す。

 

予幼年10歳に至るまで祖父の膝下に親しく薫陶を受く。
我が魂は祖父桑蔭と枕を並べて眠る。

一番鶏鳴くと共に「セツコー」と呼び臂にて蒲団を軽打す。
躊躇なく床を離れランプをつけ、提灯を灯し屋前井戸端にて洗面それより客間にて四書五経の素読約一時間、時に睡気を催し叱責せらるることあるも五歳より入学までの約一年余一日も欠かさず。
尋常四年の書を読む。

むつかしきことなし。
朝読し終れば天漸く白く間もなく近所の書生列をなして祖父の教えを受く。略

 

物欲極めて冷淡、余財なし。
客を好み、酒を好む。談論風発元気驚く許り。略

 

 

子弟に対する愛情が濃やかで、親類の子供でもくると大てい一日中遊んでいるのであるが、わざわざ自分で町へ出かけていって、肴とか菓子とか風呂敷一杯にかかえて帰って来て自分で調理する時もあり、子供らのうまそうに腹一杯食べるのを見てにこにこしていられる。略

 

限りなき愛に抱かれ、極めて自然に発育せり。
祖父に依り与えられたる魂少しにても世に益することありしとすれば是れ祖父に負う所なり。
母早く逝き、父は遠方にあり、親と縁薄く親不幸のみ残る内に祖父に対する回顧は最も感激感謝の表象なり。

 

板垣征四郎書

昭和21年12月15日(日記:わが子のためにの中から)

前略 我祖父桑蔭様は柔道起倒流第62代の師範、儒学の薀奥(うんおう)を極められた。
実に文武兼備の聖人であり、旧藩時代は藩主の先生講師である。
子供の時に祖母からよくその話を聞かされた。

 

講義の時には藩主は座布団を除去し、師に対する礼を以て過されたという事である。

盛岡郊外の赤山でなくなられた時の葬式には知事も会葬し、会葬者の行列が十町以上にも及んだ。略

 

余は祖父の孫として10年間臨終までその膝下に侍するを得たり。

余今日この強く正しき祖父の血を受け、我が三っ児の魂に与えられたる薫陶を想い出すこと程楽しいことはない。

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