板垣桑蔭 - 句・碑

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御馬滝沢の碑

滝沢号の墓

沼福寺境内にある、明治天皇の御馬、滝沢号の墓。
円形に土盛りした上に立派な石碑が建っている。
墓地にはドイツトウヒが数本茂っている。

 

明治14年明治天皇が、東北巡幸の折、御馬が沼宮内駅付近で倒れ、当時の県知事石井省一郎の命で手厚く葬った。

碑文は板垣桑蔭、書は板垣征徳。

「天長地久 何時有究 良駿駿骨 輿石不朽」

 

この時 明治二十年一月
承石井県知事之命
板垣桑陰謹撰 男征徳謹書
太田源吉銭

 

と書かれてある。
馬産振興に励んでいた往時がしのばれる。

 

征徳は、桑陰の長男で陸軍大臣となった板垣征四郎の父ですが、明治4年に「小学校規則草案」を政府に堤案し、学制公布の、新しい小学校制度について、建案したすぐれた人物です。

 

板垣征徳は沼宮内にはじめて公立の小学校が設置されたとき、最初の校長に任命された人でもある。

 

郷学校とは、明治5年の「学制」公布前に、公立の学校として明治4年小学局を設置。
県学校の教授を出張させ教授する方法で、盛岡・花巻・沼宮内の各地域に開校している。
明冶の学制公布によって小学校となる一年前に、盛岡・花巻など県下にさきがけて当地に設立されたことは、この町の輝かしい歴史でもある。

 

このように征徳が若い頃活躍できたのは、父桑陰の影響によるものであり、「桑陰塾」から傑出した人々と共に町の発展に忘れることの出来ない恩人であります。

 

滝沢号の碑は、桑陰父子碑ともなっています。

他に、桑蔭の残した書、漢詩等は数多くあると思われる。
次に記すのは柴田陸三様からお聞きしたものとのこと。

桜によせて

(桑蔭は邸名をさくらと呼んでいた)

五日市いつかと侍ちし五日市
桜の桜今咲きにけり

妙見山即事

西望岩鷲東姫岳
眼下遥流北上川
東村処々耕春田
全市静而人語少

 

妙見山は五日市寄りの今のバイパス近くの山であろうと思われる。
そこから沼宮内の町の眺めを詠んだものであろう。

柴田家(柴田陸三氏父上)の結婚式の折の祝歌

(明治9年10月)

みどりこき若木の松を植えならべ
巣ごもる鶴の宿と定めん

沼宮内小学校校長室に掲げられている桑蔭の書。

桑蔭の書

昭憲皇太后(明治天皇のおきさき)様の御歌

 

皇后宮の御歌(こうごうのみやのみうた)

 

金剛石も みがかずば

珠の光りは そはざらむ

人も学びて 後にこそ

誠の徳は あらわるれ

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