板垣桑蔭 - 桑蔭塾

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沼宮内に隠棲し、はじめに今の野口町あたりに住んでいたころの短歌。

 

「なき名ぞと人には言いてやみなまし 心の問いになにとこたえん」

があり、当時の心情を物語るひとつである。
この歌はなにげなく障子に書かれてあったものといわれているが、今は立派に表具され、沼福寺におさめられている。

 

五日市に塾をひらき、村の青年達を熟心に指導し、数多くの傑出した入々が出て、この地の発展につくした。
まことに郷土の恩入であると岩手町小学校三年生の社会科副読本に記されている。

 

この時の高弟の中に千葉要助(後に国井隆機)という方がある。
その方の孫にあたられる沼宮内小学校教諭秋浜妙子先生のお話によると「祖父は寺林(今の盛岡市玉山区)から五日市の塾に通った。

朝早く塾につくと桑蔭先生は端然と火鉢の前にすわられて弟子たちの来るのを待っておられた。

きょうこそは先生より早く教場へつこうと朝4時に起きて急ぐのであったが、先生はとっくに席についておられてとてもかなわなかったと語っていた」とのことである。

 

千葉要助氏は後に桑蔭の教えを受けつぎ、塾の先生となられ、当時の教科書が今も残されているとのことである。
また、沼宮内小学校にも教科書が保存されている。

この塾は明治6年から明治26年2月、桑蔭一家が盛岡に移るまで続いた様である。

 

その間学んだ前途有為の青年には下記の方々がいる。

 

板垣桑蔭塾

 

稲村大次郎氏(沼宮内小学校訓導->県議会議員 小本街道開通に尽力)
菊池竜助氏(沼宮内町長)
佐藤愛助氏(酒造業、県会副議長)
佐藤喜右衛門氏(川口村長)
田村貞矢庸氏(一方井村長)
三谷茂助氏(沼宮内小学校訓導->町収入役->町長)
福士徳平氏(沼宮内小学校三代校長)

 

それぞれ郷土の発展のために尽力されたのである。
桑蔭は明治26年、盛岡上田に移り、明治27年11月8日この世を去った。
享年78才であった。

 

辞世の和歌
「思いおく ことしなければ身もかろく ままよ 三度笠 死出の旅たち」

 

沼福寺には昭和4年8月17日に教え子の方たちによって建てられた、板垣桑蔭先生碑がある。

沼福寺境内入口に堂々と建つ花崗岩の立派な碑で、その徳をしのぶ弟子の方々の真情の深さを思うのである。

 

その師表

「萬古高風」
( 高尚なる風格は永久に残る )

仰いで没後百年ここに記して後世に伝える。

 

萬古高風

 

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